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クラレンス・ジョーンズ(Clarence Woodrow Jones , 1941年11月7日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 ニックネームは「ビッグC」 。低打率で三振が多く、「アメリカ製扇風機」とも言われた。 息子はアメリカのテレビドラマ等で活躍する俳優のリチャード・T・ジョーンズ。南海在籍中の1972年1月16日に神戸の病院で出生している。 == 来歴・人物 == にフィラデルフィア・フィリーズと契約。長いマイナーリーグ生活を経て、にシカゴ・カブスでメジャー初昇格。 に南海ホークスに入団し、来日。以来4年連続30本塁打を記録するなど、南海の主砲として活躍し、には自身最高打率となる.292を記録、のリーグ優勝に貢献する。しかし打率の低さと三振の多さがネックとなって自由契約となり、に近鉄バファローズに移籍。 近鉄移籍1年目には38本塁打を放ち、初の本塁打王のタイトル獲得。これが2リーグ分立後初の外国人選手による本塁打王となった。なお、同年の打率.226はパ・リーグの規定打席に到達した打者の中では最下位である(に広島のリック・ランス、にヤクルトのウラディミール・バレンティンも「本塁打王で打率最下位」を記録している。)。また、規定打席に到達しながら安打数より四球数が多いという、2リーグ分立後には他に王貞治(4回)とアンドリュー・ジョーンズの2人が達成しているのみの珍記録も達成している。 には主に4番・指名打者として出場し、チーム初の半期優勝(後期優勝)に貢献。からは再び一塁手としての出場がメインとなり、36本塁打を放ち、二度目の本塁打王のタイトルを獲得した。しかし、には打率1割台と低迷し、本塁打数も11本に終わり、同年オフに自由契約となり、現役を引退した。通算246本塁打はレロン・リーに抜かれるまでの約10年間、日本プロ野球における外国人選手の通算本塁打数最多記録だった。 引退・帰国後はからまでアトランタ・ブレーブスで打撃コーチを務め、デビッド・ジャスティス、チッパー・ジョーンズを育てた。からにはクリーブランド・インディアンスの打撃コーチを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クラレンス・ジョーンズ (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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